今でもそうなのかもしれないが、私たちが子供の時分は、学校の教室や廊下、トイレにいたるまで自分たちで掃除をしていました。
日本ではわりとあたりまえの光景ですが、欧米諸国では、掃除は専門の業者がするもので、子供たちが自分で掃除をすることは基本的にないそう。
子供の頃は億劫でしたが、独り暮らしの必然的に自分で掃除する生活となった今、子供の頃掃除に対する基礎体力を身につけさせてもらったことに感謝しています。
ただ、大人になってから自分の部屋を掃除する時、ほとんどの人は掃除機ですませているのではないでしょうか。
確かに今の掃除機は、機能もすぐれていてそれだけでも、申し分なく部屋を綺麗にしてくれます。
ただ、私はあえて、日本人なら子供の頃だれもが経験したことがあるであろう”床の雑巾がけ”を是非日常の生活に取り入れてみて頂きたい。
雑巾がけを済ませた部屋は抜群に居心地がよくなります。
雑巾がけで得られるもの
掃除機や箒で塵を払い、一見部屋は完璧に綺麗になった様に感じます。しかし、そこにさらに雑巾掛けをしてみてください。
圧倒的に、埃っぽさが消えると思います。やはりいくら掃除機をかけても特にフローリングのような板敷の床は、完全に埃が取りきれません。
雑巾がけをすることによって、箒や掃除機では舞い上がって捕らえきれなかった埃を取り除くことができます。
さらに、雑巾がけは床を磨くことにもなりますので、床のくすみが消え見た目にもより部屋が美しくなります。
雑巾がけをしたあと窓を開けて風を取り入れてみてください。
特に朝がおすすめです。とても気持ちがいいですよ。
あと、雑巾がけは思った以上に運動になります。若干のダイエット効果もあるかもしれません・・。
禅仏教では「一に掃除二に信心」と言われるほど掃除を尊びます。
身の周りが清らかであれば、心自ずから静まる。
最近は床を水拭きできるお掃除ロボットもあります。確かに部屋はそれでも綺麗にはなるでしょう。
悪くはない。
しかし、自分で部屋の塵を払い、床を雑巾で磨いてみてください。
きっと、清々しさが違うと思います。
それは心の鏡の曇りも拭き取っている。僅かながらにも煩悩を払うことができているということなのかと思います。
慣れれば雑巾がけは楽しくなってきます。日常の行住坐臥を楽しめるようになれば、人生は無敵ですね。
雑巾がけの方法
雑巾がけの参考文献として、臨済宗相国寺派の管長、有馬賴底氏の著作「雑巾がけから始まる禅が教えるほんものの生活力(集英社)」
を紹介しておきたいと思います。
掃除のことだけではなく、禅寺での生活について分かりやすくかつ必要十分に解説されていて、色々生活について参考になるかとおもいます。
「雑巾がけ」から始まる禅が教えるほんものの生活力 [ 有馬頼底 ]
この本の中では雑巾の扱いについての「型」の説明なども解説されていますが、そこは興味がある方は、本を購入していただいてご覧いただければと思います。
雑巾がけに関してここでは特に「乾拭き」と「濡れ拭き」というものを紹介したいと思います。本の中でも解説されていますが、「乾拭き」というのはカラカラに乾いた雑巾で行うものではなく、限界までしぼった雑巾で行うものであります。
「乾拭き」をするのは、お寺などではご本尊、床の間など大切な場所があげられますが、一般人の家では、畳のようないたみやすいところになります。
「濡れ拭き」は板敷の床や廊下。
私の場合は玄関もやっています。たまにですが・・。
「濡れ拭き」の後「乾拭き」をするというやり方もありますが、個人的にはそこまでは必要ないとおもっています。
そこまでやるとなると掃除が億劫になってしまいそうで。
掃除の習慣を継続させるコツは普段の掃除はザーっと7割程度のできでOKとすることです。
そして、たまに時間がある時や長期連休の時などに少し気合をいれてやる。
少し話が逸れましたが、雑巾がけも、苦痛にならない程度に習慣化しましょう。
「一寸坐れば一寸の仏」
ザーっとでもとにかく雑巾を使えば、その分部屋は綺麗になります。
あと、雑巾の使い分としては、机などを拭く「上拭き」と床に使う「下拭き」。
私はこれに加え、トイレ用のものと、玄関用のものも用意しています。
用意するといっても、それぞれ別に買ってくるわけではなく、天下り方式です。
「上拭き」で使ったものを「下拭き」へ。「下拭き」の役目を終えたものを、トイレ用や玄関用にして使いきります。
こうやって使いきってしまうとそれもまた清々しい気持ちにしてくれます。
ありがとう雑巾。
合掌。
まとめ
雑巾がけを日常の掃除にとりいれて、習慣化しましょう。
舞い上がる埃も少なくなり、自分で磨いた床は格別美しくみえることでしょう。
清らかな部屋は心も静めてくれます。
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